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【ツギtoつぐ vol.6】「設備」を捨てて「サービス」へ。創業40年目の決断。飯田ケーブルテレビが挑む、地域インフラの新しいカタチ
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こんにちは!ココロミー学生ライターのこたろーです。
信州の未来を担う経営者たちの「想い」を、学生の視点で紐解く連載企画「ツギtoつぐ」。 第6回となる今回は、南信州・飯田市の情報インフラを支える飯田ケーブルテレビの原 勉(はら つとむ)社長にお話を伺いました。

取材場所は、選挙速報やニュース番組が作られている実際のスタジオ。 モニターが並ぶその場所で語られたのは、設立から40年という歴史を誇る企業の守りの話……ではなく、自らの成功体験を否定し、破壊するという、驚くべき攻めの決断でした。
「テレビを見てくれとは、もう言わない」 「業界からはバッシングも受けた」
穏やかな語り口の中に時折のぞく、鋭いベンチャー精神。 地域インフラの常識を覆そうとする原社長の挑戦、その裏側にある熱いドラマをお届けします。
創業の原点は「有線電話」と「泥臭い覚悟」
本日はよろしくお願いします。まずは創業の経緯から教えてください。今でこそ地域の大きな会社ですが、最初はどんなスタートだったのでしょうか。
会社を設立したのは1985年、創業してからちょうど40年になりますね。 当時は国が「テレトピア構想」といって、新しいメディアを活用して地域を活性化しようという機運が高まっていた時代でした。松本や上田、諏訪などが先行してケーブルテレビ事業を始めていて、「あそこでできるなら飯田でもできるんじゃないか」と、若い仲間3人で考え、立ち上げたのが始まりです。
ただ、当時のケーブルテレビ事業は許認可事業で、許可をいただくために、郵政省や県に何度も足を運びました。そして何より、私たちには資金が全くなかった。 当時は保険代理店の仕事をしながら、妻と一緒に毎朝新聞配達をして資金を作っていた時期もありました。
社長ご自身が新聞配達をされていたのですか?
ええ。冬の寒い日、雪が降る中、朝早く起きて配るんです。 当時は「事業を始めたのにお金がなくて新聞を配っている」と言われるのが恥ずかしくて、顔を隠して配る人もいたような時代でした。私たちも必死でしたよ。
でも、その経験があったからこそ気づけたこともあります。「新聞というメディアは、どんなに良い記事が書かれていても、雨の日も雪の日も各家庭のポストまで届ける人がいないと、誰にも読まれないんだ」と。 情報の「ラストワンマイル」を繋ぐ人間がいて初めて、価値が生まれる。 その時に泥臭く働いた経験が、ケーブルテレビという各家庭に線を引いて情報を届ける事業の原点になっています。だから創業時、一軒一軒回る訪問販売や営業活動も、全く苦にはなりませんでしたね。
創業当初から、「地域に情報を届ける責任」を肌で感じていたのですね。
そうですね。そもそもケーブルテレビのルーツは、山間部などで電話が引けない地域をつないだ「有線電話」にあります。私たちは単なる民間サービス業ではなく、地域の情報格差をなくすインフラとしての責任を背負って始まったんです。 ケーブルテレビはNHKと同じで受信料をいただく事業です。行政情報や地域の出来事を伝える対価としてお金をいただく。その覚悟がなければ成り立たない事業でした。
40年目の決断。「設備産業」から「サービス業」へ
そんな歴史ある会社が、40周年を機に社名を変更されると伺いました。
はい。「飯田ケーブルテレビ」という名前を外し、「CastVision Network(キャストビジョンネットワーク)」として生まれ変わります。 一番大きいのは、設備産業からサービス業への転換です。これまでは自前でケーブル回線を張り巡らせて保有することが仕事でしたが、これからは大手通信事業者の光回線などを活用してサービスを展開する形に切り替えます。つまり、自前での設備保有をやめるということです。
インフラ企業として、設備を持たないというのはかなり大きな決断ですね。
業界からはものすごい反発を受けましたよ。「大手資本に乗っ取られるぞ」「軍門に下るのか」なんてバッシングもありました(笑)。 ケーブルテレビ業界には、巨額の設備投資をして、それを減価償却しながら利益を出していくというビジネスモデルが根付いていますから、設備を捨てるなんてありえないわけです。
でも、私は既存の通信インフラは、水道や下水道と同じ「国民の財産」だと思っているんです。国や大手が整備した立派な道路(回線)があるのに、隣にわざわざ自分たちだけの私道を作る必要はないでしょう? あるものを使ったほうがコストも下がるし、その分をサービスの中身に投資できる。業界の常識やプライドよりも、お客様にとっての合理性を選んだんです。
なるほど…。それで具体的にサービスはどう変わるのでしょうか。
これからはお客様に「テレビを見てください」とは言いません。「インターネットに入ってください」という会社になります。 ネットさえ繋がれば、当社の番組はもちろん、YouTubeも見られるし、大谷翔平選手の試合だって配信で見られるわけです。
飯田市の人だけでなく、沖縄でも北海道でも、ネットを通じて私たちのサービスに入り、飯田のコンテンツを楽しめるようになる。設備というハードウェアに縛られず、ソフト(中身)で勝負する会社へと進化していく。 YouTubeなどが当たり前の時代に、私たち自身が変化し、世界に共感されるコンテンツを発信していく。それが40年目の決断です。

人口減少時代、「上辺だけの魅力」はいらない
原社長は、これからの飯田という地域をどう見ていますか。
人口減少は止まりません。だからこそ、「減らさない」ではなく、「どう持続可能にするか」を考えないといけない。 よく地域の魅力発信と言いますが、ただ「リンゴ並木」や「焼肉」といった名物に頼るだけではダメだと思っています。
と、言いますと?
その名物が生まれた歴史や背景を深く掘り下げずに、上辺だけのキャッチコピーにしてはいけないということです。 例えば「焼肉の街」と言いますが、そこにはかつてダム建設やトンネル工事に従事した労働者の方々が、厳しい仕事の活力として肉を求めたという歴史的背景があります。そういった泥臭いルーツや物語を無視して、ただ「おしゃれな焼肉タウンです」とアピールしても、薄っぺらくて誰も来ませんよ。
本当に大切なのは、住民の意識や文化です。 飯田市はゴミの分別意識が非常に高く、小さな規模の街なのに自分たちで最終処分場を管理しています。これは全国に誇れる「環境文化」です。 さらに今、信州大学と連携して「グリーン水素」の研究拠点を作ろうとしています。環境への高い意識が、最先端のエネルギー産業に結びつく。こういった本質的な強みを磨いて発信していけば、「なんか飯田って面白そうだな」「ここでなら新しい挑戦ができそうだ」と、骨のある若者が集まってくるはずです。
学生へのメッセージ:失敗は「次へのステップ」
最後に、次世代へのメッセージをお願いします。
君たちには、失敗を恐れずにどんどん挑戦してほしい。 日本の教育、特に高校野球なんかを見ていると、「負けたら終わり」という風潮が強すぎる気がします。あれは一回負けたら全てが終わってしまうような悲壮感がある。
でも、大学野球はリーグ戦でしょう? 今日負けても、次はどう勝つかを考えて、シーズンを通して成長していける。人生も同じです。 20代のうちは、いくら失敗しても取り返しがつきます。うまくいかなかったことは失敗ではなく、次へのステップです。
それから、「なんで大学に来たのか」「何を学ぼうと思ったのか」という初心を忘れないでください。 ただ有名企業に入るためや、肩書きのためだけに過ごすのはもったいない。
今は多様性の時代です。誰かが変わったことに挑戦するのを笑うのではなく、認め合う。自分も恐れずにやってみる。そんな柔軟な心を持って、これからの時代を楽しんでください。
取材を終えて
今回の取材でまず心に残ったのは、飯田ケーブルテレビが「最初から完成された会社」ではなかったということです。
資金がない中で、雪の日の新聞配達をしてまで事業を立ち上げたという創業時のエピソード。 そして40年経った今、自らが作り上げた「設備産業」という業界の常識を否定し、バッシングを受けてでも「サービス業」へと舵を切る決断力。 その根底にあるのは、「変わり続けなければ、地域を守れない」という強い危機感と責任感でした。
「失敗しても、リーグ戦のように次がある」 原社長のこの言葉は、就職や進路に悩み、どうしても一発勝負のように感じて縮こまってしまう私たち学生にとって、これ以上ないエールだと感じました。
地域に根を張りながらも、視線は常に世界と未来を見据えている。 そんなカッコいい大人が飯田にいることを知れただけでも、今回の取材は私にとって大きな財産になりました。

企業情報
| 会社名 | 株式会社 飯田ケーブルテレビ |
| 本社所在地 | 長野県飯田市松尾明7590番地1 |
| 設立 | 1986年(昭和61年)5月16日 |
| 代表者 | 代表取締役社長 原 勉 |
| 主な事業 | 光回線を利用したケーブルテレビ(TV)放送、高速インターネット(いい-NET光)、固定電話・携帯電話(スマホ)サービス |
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